
という映画をご存知でしょうか。
なんともまぁ、嬉しくもあり、悲しくもあり、現実世界に起こる奇跡と残酷さを痛感させられるような、なんとも言えない内容でした。
感動しますよ。感動するんだけど、なんかこう、とっても、悲しいというか、和やかというか、気分が悪くなるものではありません。
あるシーンで、こんなようなセリフがありました。
こんなようなセリフです。
とある病に侵されている男性が、
「今、恵まれていることをみんな忘れている」
というようなことを言ったのでした。
その病に侵されている方が言うからこそ、
うわぁ〜っていう気分になる。
とある母親がこんなことを言うんです。
「生まれてきた時には、息子が五体満足で生まれてくれてありがとうって、そんなことは思いませんでした」
そりゃ思わない。なかなか思わない。
よかったって、思うんだけど、まぁ、すぐ忘れるよね、それは。
だから、忘れないように、思い出せるように、したいなっていうことも考えさせられる。
この映画はノンフィクションなので、その1つ1つのセリフにも感情移入しやすいんだよね。
僕、フィクションなんだろうけど、事実をもとにしたフィクションとかね、
ノンフィクションの作品ってすごく好きなんですよ。
まぁ、冷たい熱帯魚とかね、好きですよ。
それこそ、ルポルタージュとか、すごく好きなんですよ。
なんかこう、リアルなんだよね。とっても。怖いしね。
でね、レナードの朝もそう。ノンフィクションだからこそ、胸に響くものがあるよね。
でもね、まぁね、こんなこと言ってもしょーがないんだけど。
忘れないようにとか、思い出そうって、思えるんだけど、
僕はね、忘れていられることにも感謝した方が良いと思うんだよね。
感謝っていう言い方も好きじゃないかな。
忘れていられるって、幸せだよってことなんだよな。
だから、どっちでもいいってことなんですよ。
「昨夜見たテレビの中、病の子供が泣いていた。だからじゃないが、こうしていられること、感謝しなくちゃな」
byミスチル
僕の好きな歌の一部にこんな歌詞がある。
僕はさ、「だからじゃないが」っていう一言があるから、この一節が好きなんだよな。
何かを見て、感じて、思い直して、考えるっていいよね。
でも、そうしなかったことを咎めるよりも、
忘れていられる環境がありがたいって、思った方が良いよね。
比べられないもんね。
そんな人たちと、僕たち、いや、僕個人と、そういう人たちと、比べられないじゃん。
比べても、比べなくても、どっちでもいいんだけど、
比べられないことを比べてみて、そういう人たちもいるから僕ら感謝しなくちゃなって思うのもなぁって思う。
「あなたに私の気持ちはわからない」とか言われて、何も言えなくなるシチュエーションってあるけれど、
わかるわけないんですけどって思うんだよね。
でも、わからないから言えることってたくさんあるんですよ。
わからない同士だから、話し合うんでしょう。人間って。
そんなこと言われても・・・って思うんだけどね。
それも、比べてるからこそ出てくる言葉なのかなー。
幸せの尺度も、そういう映画を見て、そういう人たちがいるから、僕は幸せだ。みたいなことを思ってもいいんだけど、
そういうことじゃなくて、だから!とかじゃなくて、「あぁ、幸せだなぁ」って思えるのも良いんじゃないかなって思うんだよな。
だから、僕はね、忘れていられることにも、幸せを感じていたいってただ、思ったな。
レナードの朝を見ていて。
忘れていることが悪いこと、じゃなくて、
忘れられるほど平和なのもまぁ、いいじゃないの。
危機感はあった方が良いけれど、
危機感だけが必要なわけでもない。
なんにも気にせず、身の回りの問題だけに立ち向かい、
人生を謳歌している人達ってたくさんいるけれど、
よっぽど、幸せなのかもしれない。
何かに取り憑かれているのは、どっちかって言えば僕の方なのかもしれない。
あれこれ考えて、人生をつまらなくしていると思われても仕方がないかもしれない。
だから、たまには忘れても良いんじゃないだろうか。
いいや、忘れている時間があるって、すごく幸せなことなんじゃないだろうか。
ということでね、要はね、
「あ、僕、そういうこと忘れてた、ダメだなぁ」
って思いがちなのを、やめたいっていうだけの話なのです。
ダメじゃないの。
別に良いの。
だから、楽しく考えながら、自分を否定しないままで、
そういう映画を見て、何かを考えていこう。
なんでもそうだけど、ダメだと思ってしまったら、選択肢が1つ減るのです。
選択肢が減るというのは、つまり視点が1つ減るってことなのです。
どちらでも良いけれど、どちらを選択しようかな?の方が、視野は広い。
せっかく手に入れた大事な分析方法を、何かの拍子に「ダメだ」と、どこかに捨ててしまうか置いてきてしまうことがあります。
それはそれで構わないけれど、それそのものは、持ち続けていても良いことがたまにはあります。
「チャネルライン」という分析がありますが、そんなものは過去、一瞬で捨てました。
「使えない」「いらね」「ややこしい」「どこで引けばいいかわかんね」っていう理由です。
未だに、使うことはありません。チャネルなんて。
それとは別に、ある日「値幅観測論」というものに出会い、衝撃を受けて、分析を進めていくとそれはそれは、感動しました。
なぜ、こんな動きになるのか?謎が多くの考察を生み、相場の見せ方を大きく変えてくれました。
しかし、それでも今ひとつ、勝てない。行ききれない。いいところまで行くのに、そこでなぜ、そうなるのか!というジレンマ。
そこで、過去捨てた、チャネルラインという分析になぜか、行き着きまして、
値幅観測論とチャネルラインというヒントから、良いアイディアが生まれてきたこともありました。
ある数学者は、とある難題を解けるところまで来ていたのに、なかなか行ききれない、なかなかあと一歩が進まないっていうところで、
その昔、魅了されたある考え方を思い出し、それを当てはめたら途端にスルスル解けてしまったなんていうこともあったそうで。
それとこれがどう、関係するのかは正直わからないけれど、ただね、「ダメ」とかじゃなくて、
なんでも前向きに考えておいた方が良い場合もあるんじゃないのかなっていう話です。
楽しく生きられる考え方を持っていた方が良いですよ。
だって、結局のところ、何をどう考えようが、人生は変わらないのだから。
それなら・・・、っていうところから先は、自由です。
良い映画を見て、そんなことを考えさせられました。
コメント
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正人さん、ヤッホー(^◇^)
家族のみんな元気かなぁ?
「昨夜見たテレビの中、病の子供が泣いていた。だからじゃないが、こうしていられること、感謝しなくちゃな」
私も心に残ってる!
戦争で戦ったおじいちゃんがね、自分は人殺しだって
ずっと忘れられないって記事があったの
忘れられないって苦しいよね
忘れられるのもギフトだよね、、、
でも忘れるから大切な事は覚えていようって
そんな自分でいたいな♬
そしてさ、確かにその人と同じ体験は出来ないから
キモチは分からないのかもしれないけどさ
でもキモチは想像出来るし、でもその人にない考えが
心を緩めたりするもんね!
あの、自分にはふたりの時間が羨ましいよって
正人さんの言葉もそうだよね!
分かり合えないとか
分かり合う事はないとかじゃなく
いつかは分かり合えるって思っていたいな!
そして最後は
分かり合えてるって信頼出来たらいいな♬
せめて自分が好きだと思う人たちだけでも♬