疑いながら「もしもそうであるならば」と考えてみる

IMG_5943

偏見だけれども・・・

宗教の神話で、過去に起きた「奇跡」ってのがあります。
まぁ、日本神話とか日本書紀ってそういう奇跡的な話は特に無いんだけど、
海の宮殿だの高天の原だの岩屋戸だの、そういうのはあるけれど、それは奇跡っていう話じゃないよね。
でも、ユダヤもキリストもイスラームも、奇跡が起きた記述があるんだそう。
イエスが手を触れたら目が見えるようになった・・・とか?体の不調が改善した感じのやつです。

さて、それは本当なんだろうか?
「本当」だって、たぶんほとんどの人が思っていないけれど、
「神話」って、根強く「そうだったのかも」みたいな思いを持たせたりしませんか。
日本神話だって、イザナギとイザナミが海を混ぜて・・・みたいなのあるでしょ?

そんなわけないじゃん(笑)
でも、なんとなく「そうなのかなー」って思ったりしませんか。

 

奇跡って起きたのか?
身体に触れただけで本当に身体が治ったのか?

 

さてさて、プラシーボ効果っていうものがあるよね。
なんとなく効きそうな感じのものを信じていると、
本当によくなっちゃうっていうのがあるよね。
レメディとかそうらしいよね。飲んだこともなきゃ飲んでいる人も知らないから実際のところはわからないけれど。

それくらい、プラシーボ効果ってすごいっていうね。
要は人間の勘違いって、不健康な身体すら健康だと勘違いさせてしまえるっていう。
すると、健康なんだからって身体が反応すると健康になっちゃうっていうね。
人間の身体がすげーんだけど。

まぁ、奇跡が起きた理由がプラシーボ効果であるのなら、納得できる話ではあるけれど、
それでも限界があると思うんだよ。

単純に、手を当てただけで目が見えない人の目が見えるようになったとか、
そんなこと、あるのかな。
僕は、経験したことがないからわからないけれど、信じがたい話だな。

でも、本当にそれが起きた!というのなら、
なぜそういうことが起きたのか?とかを、ちょっと考えてみたい。

 

なぜ起きた?

奇跡的プラシーボ効果?

いいや、違うと思う。

単純に、さくらが居ただけじゃない?

役者を雇ったのだ。

 

ニーチェのアンチクリストっていう本を軽くかじっているんですけれど、
その本の中に「キリスト教徒はただ一人しか居ない。それがイエス・キリストである」
的な?感じの内容があったと思うんですけど(詳しくは知りません)、
それはね、イエスが亡くなった後に、弟子達がいろいろ話をでっちあげちゃったっていう話でね、
要は布教活動をするために、神の子が死んでしまうという最悪の事実を捻じ曲げたかったわけ。
だから、「全ての人間の罪を背負って死んだ」ってことにしたんだって。
という解釈があるってことなんだけど。

ま、もっともらしい話です。もっともらしさの罠です。もっともらしいと信じちゃうんですよ。
ただ、政治に口出しして?死んじゃった?だったかな〜。

聖書の世界では、主に守られて死にそうで死なない話がたくさんあるからね。
なのに、イエスは違うっていうね・・・。

ま、聖書の話も、わかんないけど、作ったんだろうねどっかで。
日本書紀は600年?代くらいに書物をまとめて作られましたーって感じになってるけど、
聖書ってどうなんだろう。知らないなーそのへん。

ま、仮にね、話をでっちあげちゃったんだとしたら、
弟子達は布教活動をしたかったってことになるよね。
まぁ、イエスも「広めよう」とは言ってたんだろうけど、
弟子たちとか、関わっている人たちはお金儲けができたんじゃないのかな。
実際、一千と数百年の間、教会にはお金があったらしいしね。

となると、イエス生存中もね、そういう手品みたいなことをしていたんじゃないの?
って、思っちゃうわけ。

つまり、役者を雇うわけだ。

で、目が見えないフリをして、目が見えるようになったフリをして、
それで「奇跡」と騒いだんじゃないのかね。
だとしたら、その記述が事実である可能性って高いよね。
そうやって人を騙しましたっていうね。言い方悪いけど。

まぁ、未だに謎が多いらしんだけど、そんでもね、そんなことも考えちゃうなーっていうね。

今の時代と、昔の時代、
文明とか、技術とか、そういうことを抜きにしたら、
人と人との関わり方っていうか、感じ方っていうか、
見える景色はたぶん何も変わらないと思う。

あなたが居る。神様は確認できない。動物がいる。霊も確認できない。
今も昔も、同じだと思うんだよねー。

昔話で出てくる「主の使いが現れた」みたいなやつも、
作り話だろうなって思うね。

今、出てこない理由はなんですかっていうね。
昔も今も、抱えている問題の質が違うだけで、大変だぜ。
だから、作り話を交えつつ、事実を捻じ曲げたこともありつつも、
手品を使ったんだろうなって思うね。そういう見せ方をしたんだろうなって思う。

蛇が杖になるとか、杖が蛇になるとか、あるけどさ、
何その力(笑)。って思わない。
まったく無意味。意味のない力を神の力って言う感じ。
意味不明(笑)

違う・・・、「そんなことしかできなかった」っていうのが正解なんじゃないの?
もっとできるでしょ。神なら。なんでもできるって、書いてあんじゃんよ。

ってね、思ったな。
イスラームの預言者の人も、神の啓示?みたいなものを受けて、
一瞬でエルサレムへ行き、7つの段階でそれぞれの天使に会い・・・
とかって記述があるそうなんだけど(詳しくは知りません)、

「あ、明晰夢見たんだね〜」って思うだけなんだよね。

そんなこと、起こらないって。

それを「夢だと自覚している上で話す」とかならいいんだけどね。

ま、無理な場合もあるだろうね。明晰夢って、すごくリアルだからな〜。

そういう目線で見てみると、パラレルワールドから現れた人がいるって現代にもあるんだけど、

それ、作り話か、役者雇っただけだろ。って思っちゃう。

本当だとしたらめちゃくちゃおもしろいんだけど、
本当だ!と断定するのが嫌なんだよね。
そういうもっともらしいことに目を向けてしまって、
そういう癖が付いてくると、
もっともらしい話に流される人間になってしまう。

 

世の中の「詐欺」の全て、もっともらしいからな。

というか僕らは「壮大な詐欺」に合っているのかもしれない。すでに。

とか、考えちゃったりします。

 

 

というわけでね、
いろいろ聖書的なものをかじっている時に、
今ある知識で置き換えて考えてみると、
どうも、怪しいなぁって思うことが多々あるんだよね。

教会がお金を蓄えて、貧困する民なんてそっちのけで、
私利私欲のためにお金を使っていた・・・みたいなこともあるみたいだし。

話をでっちあげて民衆をコントロールしていったんだろうなって思うね。

 

ニーチェの言葉で、

「神は死んだ」

って言葉があるらしいけど、実際にはなんて言ったかわからないけれど、
でも、まぁ、良い言葉とはいえないけれど、
ただただ力強さを感じる言葉だよね。

そういうことも、考えてみたいなって思ったんですよ。
こんなことを考えていて。

 

ま、正直、神話とか、聖書とかね、ちょっとどうでも良くって、
ただ、そういう話を見ている時に、自分が一体何を考えられるのかっていうことの方が大事だと思って。

 

「そういうものなんだ」って信じるのではなくてさ、
「なぜそうなのか?」「なぜそうであるべきなのか?」
みたいなことを考えていきたいなってね、思うよね。

 

それなら、僕の信じているものってなんだろうなって。

信じているものを疑って考えてみたいなーって。

コペルニクス的転回とか意識したいなーって(コペルニクス的転回って言ってみたかっただけ。天動説が信じられている頃に地動説を提唱した人。そういう発想の転換のことをその事実を擬えてコペルニクス的転回と言うらしい)。

ま、そんなことを思いました。

 

結局「コペルニクス的転回」が言いたかっただけですみたいな終わりになりましたけど(笑)。

それはちょっとありますけど(笑)。

批判とか否定とかっていうのもちょっと入ってるかもしれないけれど、

いろいろ考えていきたいねっていうだけの話です。




人気ブログランキング上昇中☆
ブログ村も上昇中\\\\٩( 'ω' )و ////
1位を目指してます(笑)。
今日の記事良かったよ!という方は、
クリックしてね~~\(^_^)/
 ↓↓             ↓↓

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

【無料】氣愛通信メルマガ

ブログの更新をメールでお知らせ!2017年11月現在12439名がこのメルマガを購読中です☆FXの有益なノウハウが詰まったコンテンツや、セミナー情報、講演会情報、お得な情報もいち早く優先的に知ることが出来る氣愛通信メールマガジンに無料で登録してみませんか?メールアドレスを下記に入力して送信を押すだけで登録は10秒以内に無料で完了します♪
遂に知井道通公式LINE@を開始☆FXの有益なノウハウ、セミナー情報、 講演会情報、お得な情報もいち早く無料で配信中(^^♪

バーコードでも、友だち追加でも、どちらからでも簡単にすぐ登録ができます( *´艸`) 友だち追加

最近の記事

ページ上部へ戻る