苦痛 -1-『息切れ』

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ちょっと連載しますね(笑)
最近連載が多い(笑)

今ね、めちゃくちゃ忙しいんです。実は僕。
だから、書き溜めてます。
いや、本当に、めちゃくちゃ忙しいんです。
トレードは、全部予約でやってるから、まったく忙しくありません(笑)

いやー、そっちもなー、分析したい、検証したいこと、めっちゃあるんだよなー最近。
困った(笑)いや、寝なければいいんだ(笑)

そう。最近、ちょっとした修行をしているんですけど、
それによって睡眠も「取らなくても結構大丈夫になるのではないか?」って思っていることがあるんです。
でも、眠たいのを我慢するのって「苦痛」じゃないですか。
僕の場合、眠たいのを我慢するのってすごく難しいことなんですけど、
ただ、それを克服するために、最近いろいろと考察しているんです。

それをまずは「息切れ」というテーマからお話していきたいと思います。

息切れと言えば、僕の場合は、

「ジョギング」

なんです(笑)
最近、めちゃくちゃ走ってますからね。
本格的にプロテインとか摂取するくらいになってきました。
そうして、じんわり体重は落ちています。
なぜなら、プロテインってお腹ふくれるからなんです。

とまぁ、それはいいんですけど。
走っている時に感じるあの息苦しさから、
僕は「我慢」や「辛抱」という強さを養えるって思っていたんです。
筋トレもそう。でも、筋トレの前にはジョギングしなきゃ。

でね、最近ですが、走っている最中に気付いたことがあったんです。

「息切れ」は、苦しいんですけど、
苦しい状態っていうのは、僕の肉体の反応な訳です。

で、僕は「僕が苦しい」って思っていた訳です、
だから、今も言ったけど「僕自身が強くなるために」走っていた訳なんです。
ただ、ふと思ったんです。

「苦しいって思う訳だけど、結局、どこが苦しいんだろうか?」

まぁ、普通の発想ですよね。
でもね、その時に気付いたことがありました。
身体が疲れている訳じゃない。それ自体は苦しくない。
足に多少のだるさはあるけれど、別にまだぜんぜん走れるから、そこは苦しくない。
苦しいのは「肺」なんです。息苦しいだけ。
それ以外は?

まったく大丈夫。
そこで、こんなことを思った。

「胸は苦しい。けど、僕自身は何も苦しくはない」
「つまり、身体が苦しいという反応を起こしているけれど、それは僕の身体の反応であって、実際には僕じゃない」」
「だから、僕の意識は、なんでもない」

ということを考えた時に、妙な感じなんですけど、
「胸の苦しみが立体的になった」ような感覚があって。

つまり、「胸の苦しみをより理解した」というか。
言葉にするのが難しいんですけど、

「しっかり苦しいことを感じた」というか。

するとね、苦しいだけだから、走れるんです。
ま、大したことない距離の延長だけどね。1分とかですよ。
それでも、1分長く走れる感覚が、突然やってきたことに僕はビックリした。

この時に思ったんです。
胸の苦しさをはぐらかすために、苦しいって思っているけれど、実際のところは、
『苦しさすら感じられていなかった』っていう。

これはね、ジョギングして本当にそう思ってるから、そうとしか言えないんですけど、
苦しさすら感じられていなかったけど、苦しさを真っ向から受け止めたら、
苦しさが何故か半減する。という現象ってことを言いたいだけなんです。

おかしいと思わない?

苦しさから逃れたいのに、苦しさを直視すると苦しさが半減するんです。

ある人が言ってた。

「身体があなたですか?心があなたですか?全然違いますよ。身体も心もあなたの「物」なんです」

そういう感じだろうな。
僕が苦しい訳じゃない。僕の物である身体が苦しい反応を示しているだけ。
っていう感じ。

ま、実際には苦しいんだよ。息切れ自体はしてんだから(笑)
なのに…長く走れるようになる。とっても不思議。

で、この体験、体感?経験から、
まったく同じことを他のことでもしてみようってことになったのです。
そして、試してみたら、今まで出来なかったことが、簡単にできてしまったのです。

・・・つづく(笑)




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コメント

    • 西村智行
    • 2016年 6月 13日

    睡眠時間の短縮と身体の苦痛については、ずっと悩んで考え続けていることなので、続きが楽しみです。

    身体の苦痛とそれを感じる自分は別もののはずだと思い、そこを追求してきましたが、分離させようとすると逆に苦痛は強化され、すべての苦痛を受け入れようとする方がむしろ少しずつ分離されるような氣がします。

    しかし、完全に腑に落ちるところまでは程遠く、行き詰っています。

    • たもりまさと
      • たもりまさと
      • 2016年 6月 13日

      西村さん!どもです!
      これは説明するとすごく簡単な言葉になってしまうので、出来るかどうかっていう保証は出来ないんですけど…(汗)
      まず、分離するのであれば「何を分離するのか?」をまず認識しなければいけませんよね。分離する対象が無ければ分離出来る訳が無いですからね。
      そんでもって僕達は苦しみから逃れるために「分離させたい」って願望を持っていますよね。なるべくなら苦痛を感じたくはない。この状態がすでに「苦痛をはぐらかした状態」だと思うんですよね。苦痛を感じたくないから苦痛を感じないようにする。
      それはつまり「眠たい」が苦痛なら「寝る」ことによって苦痛は感じなくなりますし、「腹が減る」が苦痛なら「食べる」ことで苦痛は感じなくなります。苦痛を感じなくするのなら、自分達が理想に思う状態は訪れない。
      だから僕が今実験しているのは逆に「苦痛を感じよう」っていうことなんですね。すると、眠たい時に寝ないから苦痛が感じれるし、食べたい時に食べられないから苦痛が感じられる。苦痛を感じている間が僕達の理想に思う状態な訳です。
      そこで「苦痛を感じる」ことによって「苦痛を感じる時間を長くできる」と考えた訳です。
      なんというか、苦痛の理解や苦痛の認識を深めるところから始めなければいけない。ということでしょうか。つまり「誠心誠意苦痛を感じてみよう」と決める訳です。だから『何が苦しいのか?』を探してみる。すると、苦痛である場所、苦痛である感覚が腑に落ちるんですね。
      そんでもって、それは「どうしようもないことである」ってことにも気付けます。
      僕もそうですけど『感じないようになれないか?』を考えがちなんですが、逆に「感じるためにはどうしたらいいのか?」を考えると、苦痛の状態を長く感じていようってことになりますよね。さっきも言いましたけど、苦痛を長く感じている状態が僕達が理想に思う状態と直結しているから、後は苦痛を受け入れるしかないですよね。ですから、苦痛に耐えるため、苦痛に向かわないければいけないし、苦痛に向かっている以上は、苦痛の状態が続くことを受け入れている訳ですから、起きていられたり、食べなくて済んだりする訳です。
      で、ここまでは言葉にすれば、なんとなく理解できそうな雰囲気はあるんですけど、ここから少し不思議なんですけど、「苦痛を感じよう」とすると、苦痛が半減するんです。理由はわかりませんが、それによって、かなりの時間起きてられるようになったり、かなりの時間ご飯を食べなくても平気になったし、筋トレの回数も上がったり、ジョギングも限界まで出来るようになりました。
      ということで、結局は「限界」はあるんですよね。眠気を許容するので、眠たい状態でずっと起きてられるんですが、それでもいつかは寝てしまいます。ぶっ倒れるように。だから限度はあるんですけどね、あと起きる時は氣愛が必要なんですけど、これも「眠たい」という苦痛をあえて受け入れようと思って、短時間睡眠で起き上がって眠たいまま身体を無理矢理動かして家事や作業をしていると、寝た後は眠気が飛ぶ時間は速いですね〜!
      一応これから体験談をアップしていくんですけど、言うことは今コメントしたことです(笑)西村さんも試してみて下さい。分離させるのではなくて、僕の場合は究極まで苦痛を感じようと試みるっていう感じです!

        • 西村智行
        • 2016年 6月 13日

        なるほど、究極まで苦痛を感じ尽くす!
        やってみます。
        それで思い出したんですが、僕も以前毎朝走っていた時期があって、走っている時には、苦痛を徹底的に受け入れるという意図を持って取り組んでいました。
        走り始めてから数ヶ月はただただ苦痛なだけでしたが、半年位経った頃から、苦痛が軽減した、というか、むしろその苦痛を求めるようになったのです!
        そして時間が無くて走れなくなった今でも走ることを強く欲しています。
        そこに何かヒントがあるような氣がします。

        詳細な回答ありがとうございます!

        • たもりまさと
          • たもりまさと
          • 2016年 6月 14日

          やっぱりそうですよね!そんでもって、そうしないと記録を伸ばせないですもんね(笑)いろんなところで実はいろんな人がやっていることなんですけど、自覚するのはなかなか大変なことなのかもしれないっすね。苦痛を求めるようになると、何故かそれまで感じていたような苦痛ではなくなるというか、大したことが無いと思えるというか、そうするだけで少しずつ走れるようになりますよね。そこにヒントはあるかもしれません!
          ちなみに、釈迦が昔苦行というのをしていて、その「分離」か「同一」という境地を目指していたんですが(自己と他者(主観と客観)の両立)、そうすることで痛みというものを感じている時点で自己があり、この世界と自分が1つになれていない、みたいな感じで、簡単に言うとそういうことだと思うんですけど、それで苦行していたんですって。で、釈迦は結局それが出来ずに「意味が無い」と言って辞めてしまった。つまり釈迦でも分離も同一も苦行の中では出来なかった訳です。そんでもって、菩提樹の下で悟ってから、釈迦が「一切皆苦」という言葉を残していますよね。一切皆苦って救い用の無い話だなって思ってたんですが、今回の「苦痛をしっかり感じれば苦痛が半減する」っていう話だったのかもしれないなって最近思いました。全部辛い。それを自覚して生きていけば、辛いことに理想が隠れているのだから、もっと良い人生を送られる…勝手な僕の解釈ですが、とりあえず分離って釈迦も出来なかったって話です(笑)
          ということで、試してみて下さい!

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