ちょっと休憩エッセイ『憂い』

憂いって表現が本当に良く似合うような、
変な話、この世界に漠然と嫌気が刺すことがある。
そんな「憂い」の話をしよう。僕なりの解釈と想像。
暗い話になりそうだ!笑

まぁ、エッセイなんでね(笑)、
思うまま、赴くままに、書き綴っていこう。

さてと。
突然ふと、物悲しさが心を覆う事がある。
その悲しさの原因は一体なんだろう?って思うことがある。
そんな悲しさがやってきた時に感じるのは宇宙の大きさと人間1人の僕の小ささ。
何がどう意味があるのかさっぱりわからなくなることがある。
(自分で意味を作っていくしかないのですけども)

「憂い」かぁ。
そんな時、例え話で五七五の川柳でも歌うことができればすごくかっこいいな僕。
なんて思い(笑)「憂い」というワードでネット検索してみたら、
なんと相田みつをさんの歌が出てきました。

ーーー

『憂い』

むかしの人の詩にありました

君看よ双眼のいろ 語らざれば憂い無きに似たり

憂いがないのではありません
悲しみがないのでもありません
語らないだけなんです

語れないほどふかい憂いだからです
語れないほど重い悲しみだからです

人にいくら説明したって全くわかってもらえないから
語ることをやめてじっとこらえているんです
文字にもことばにも到底表せないふかい憂いを おもいかなしみを
こころの底ふかくずっしりしずめて
じっと黙っているからまなこが澄んでくるのです

澄んだ目の底にある
ふかい憂いのわかる人間になろう
重いかなしみの見える眼を持とう

君看よ双眼のいろ 語らざれば憂い無きに似たり
語らざれば憂い無きに似たり

みつを

ーーー

なんて、じんわりくる詩なんでしょう。

君看よ双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり
とても簡単に言えば「両目を見たって悲しさなんて感じないだろう?」って意味なんだとか。
そう。相手に言わなければ、相手が悲しんでいるなんてなかなか気付かない。
でもそれは「言葉にならない程の深い悲しみや憂いがあるから」って、
相田みつをさんが言っている訳だ。

なんて、、、じんわりくる詩なんでしょう。

僕は僕に襲いかかる憂い時間を「なんで?」って考えてみようと思っているんだけど、
この歌を聞いていると「相手もそうだよ。だから、わかってあげよう」って気にさせられる。

相手には、どんな憂いがあるんだろう。
いや、どんな時に憂いが顔を出すんだろう。
憂いなんて、万人が持っているもんだから。

僕は、過去の偉人達って、憂いってもんにすごく従順というか、
真摯に憂いと向き合っていたんじゃねーかなって思うんだよね。

「憂い」かぁ。そもそもだ。
憂いって何か辞書で調べてみよう。

『憂い』
悪い状態になることを予測して心配すること。不安。
心中に抱く物悲しい思い。憂愁。
災い。難儀。

憂愁っていうのが、皆が感じていそうな憂いに近い気がする。

『憂愁』
うれえもだえること。悲しみ嘆くこと。うれい。

また、「物悲しい」という言葉も出てきた。
僕が思う憂いは、この物悲しいっていう雰囲気がとっても似合っている気がするんですよ。

『物悲しい』
理由もなくなんとなく悲しい。

憂いって、突然やってくる。
それは、そもそも人間が憂いを抱えているから。
やってくるのではなくて、湧き出てきてしまうもの。

この「憂い」っていうのを、ほら、過去の偉人達は感じていたんじゃないのかな?
その時に「どこから来るのか?」とか「なぜ来るのか?」とか考えたと思うんだ。

漠然と人間は「死」を知っている。
しかし、死ななければ死を理解することはできないでしょう。
だから、わからないまま。今生ではさ。

そう。わからないという不安を抱え続けて生きていかなければいけない。
生きている限り「死」という漠然とした不安は消えることはない。
今は平気だとしても、時々のしかかってくることがある。それが「憂い」じゃないかな。

じゃぁ、どうすんの?って。
たくさんの哲学が出来た。

この悲しさを払拭するために、何をしようか?
この漠然とした不安を消し去るために、一体何が出来るんだろうか?

『そうだ。悲しさすら感じなくすればいい。そうしたら、憂いは感じなくなるし』

「根本的に憂いっていうものが無いんだよ。憂いなんて人間が作ったものさ」

『憂いを認識しているのは誰?認識しているものを認識はできない』

「そもそも私っていうのは居ないんだよ。だから自我そのものが幻想なんだ」

『肉体と精神は「自分の物」だ。だから、憂いを感じているのは自分ではないんだよ」

「別に憂いてもよくね?だって、あるんだもん」

その他、様々な知恵が出てきた訳だけど、それを作ることに憂いが一役買っていたのかもしれない。
なんて思った訳です。

それで、自分の中にある憂いが解決したとしよう。
憂いなんて無かった!っていうことが腑に落ちたとしよう。

だけど…それが「腑に落ちたんだよ!」ってことを、わかってくれない人がいるんだ。

『悲しさすら感じなくって…人間辞める気かよ。そんなこと言うおまえをみてると俺が悲しいわ』

「憂いってものを人間が作ったんなら、どうやって最初に作ったんだよ。無いものを作れるのか?じゃぁ今ここでご飯を出せよ。無理だろ。ってことはだ、作れる要素が必ずしも存在しているってことだろ。じゃないと憂いって発想も無いんじゃねーの」

『認識しているものを認識できないとかもっともらしいこと言うんじゃなくて、憂いについて教えてくれ』

「私は居ないならあなたは誰ですか、それと憂いとどんな関係があるんですか。話をはぐらかすのやめてください」

『肉体と精神は自分の物ってことは、肉体も精神も自分ってことでしょ?ただの言葉遊びやめてくれ」

「いやいや、だからさぁ、憂いたくないから憂いについて考えてんのに憂いてもよくない?って話になってねーから。ごまかさないでくれ」

とか(笑)

今の言葉は全て僕の創作だけど、そうやってなんでも反論は可能。
どんな理論でも反論は可能なんだ。
その理論によってその理論が正しいことを証明することは出来ないから、
もっともらしいことや当たっていそうなことや正確でありそうな答えの全てに、
反論が可能。

だから、万人がわかりあえるなんてことはない。

まさに、それが「憂い」だよね。

宗教ってのはそういう意味では憂いを感じないのかもしれない。
絶対的教祖さんがいて、その人が全てと思えると、楽に生きられるんだろうな。
だって、正しいんだもん。
また、周りの人達は自分と同じことを思っている人達しかいないから、
教えに従順な人しかいないから、とても楽になれるのかもしれない。

そんでも、だからこそ、そういう集まり同士で対立は激化する。
ある仏教系新興宗教も他の宗派をガンガン否定して信者を集めていた。
そんなことをしてたらいつか喧嘩になる。
実際、過去の日本の歴史だけを見ても宗派同士の争いは結構あったよね。

日蓮(日蓮宗)と親鸞(浄土真宗)は仲が悪かった…って本で見たような。
まぁ、それは定かじゃない。どっちでもいいし。

また、親鸞の息子が内々だけで儀式を使ってやるような仏教を立ち上げて絶縁したりしたそうだ。
そういう新興宗教は今の日本でも結構あるみたいだ。多額のお布施を取って。

そう。何が言いたいのかは、別に日蓮とか親鸞とかそういうことはどうでもよくて、
「わかり合えない人達がいる」ということなんだ。

なんてこった。

ーーー

人にいくら説明したって全くわかってもらえないから
語ることをやめてじっとこらえているんです
文字にもことばにも到底表せないふかい憂いを おもいかなしみを
こころの底ふかくずっしりしずめて
じっと黙っているからまなこが澄んでくるのです

澄んだ目の底にある
ふかい憂いのわかる人間になろう
重いかなしみの見える眼を持とう

ーーー

そう。どんなことを話してもわかってもらえない。
いや、わかり合うことができないのが人間ってもんだ。
それこそが、まさに憂いの原因なんだろうなって、みつをさんの詩を読んでいても思う。

僕は、この世界に対して妙な悲しさを抱く時はいつでも誰かが関わっているって気付いた。
誰かって、知らない誰かとか。または、僕の知っている誰か。
嫌な事ってのは生きていればあるもんだ。

簡単なこと。
「仲良く」が出来ない。
いつも悩む。これ。

僕もそうだよ。
仲良く出来ない人と、仲良くしたいと思えない。
だから、結局僕も出来ないの仲間になる。
ものすごく悲しい。

相手がそうでも自分だけは…って、僕は無理だな。それに関しては。
仲良くする気の無い奴とどう仲良くしたらいいのか。って思っちゃう。

そこに根本的な憂いの理由があった。

自分次第。自分の内側を変えることで世界が変わる。
当然、僕の考え方が変わってしまえば、僕自身の心の重荷は減るだろう。
だけれども、僕はこれからも他人への想いは変わらない。

どうでもいいって思っていないから、
人と人とのことに頭が痛くなるんだよ。
自分次第って話なら、人のことなんてどうでもよくなればいいんだよね。
でも、それは出来ないから、内側が変わったところで世界はなんの変化もしない。
なんの変化もしないんだよな。そういうもんだ。

それを一度、認めないといけないと思うんだ。
人と人との悩みに対して、心のどこかで「わかってもらえる」と思っているからこそ、
わかってもらえない時に辛い気持ちになるんだ。
なんだけど、難しい。

わかってもらいたいけどわかってもらえないことをわからなければいけない。

つまり、やっぱり憂いってのは感じて生きていくことになりそう。
僕の中から憂いが消えてしまったら、僕は他人を心の中で本気で「どうでもいい」と思ってしまうんだと思う。
だから、憂いって適度に感じた方が僕は僕で居られるんだろうなぁ。

いやだなぁ。
いやだなぁ。をしっかり感じて生きていかなきゃなぁ。

最近「苦痛」ってのをたくさん書いているけれど、
それが無きゃ、これも考えることは無かったかもしれない。

嫌なことがあった時に、どこに嫌なことがあるんだろう?って、
胸のあたりのもやもや感じるあれを探したけど、見つからなかった。
それくらいに、深く深くにあるんだろうなって思う。

解決しないよなー。
なんも解決しない。
僕が考えていることでもなんも解決しない。
巷にある知識で考えてもなんにも解決しない。
解決しないんだな。

時々憂いがやってくると、そんなことを長々と考えている僕が居る。
本当は、もっといろいろあるんだけど、今日はこのあたりで終わろう。

ひとまず今日は、解決しないってことを腑に落とすことによって、
解決しないってことを解決させてしまえばいいやって思った(笑)

言葉遊びで心をスッキリして、また今日も1日頑張ろう。




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