出来ないの壁

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まさとです。

普段の生活の中で、
出来ないことがあるのですが、
例えば「走ろう」と思うけどなかなか走れないとか、
「これをやろう」と思うけどなかなか出来ないとか。

最近の僕はジョギングとちゃりんこをサボっていまして、
子育てに没頭している訳ではないけれど、子育てってのを始めてからですね、
あんまりやらなくなってしまって、
そろそろ再開しなきゃなって思いながらもう2ヶ月も経ってしまいました。

で、この「そろそろやらなきゃ」っていう思いが頭の中に出てきた時に、
どうしても、同時に出てくる影の感情もあるのです。
まぁ、それは万人に言えることではなく、
まぁ、世の中にある全ての話が、万人に言えるものはないのですが、
僕には通用するであろう、そんなことの話をこれからしたいと思います。

さて…

子育てをしている時に、なんだけど、
何度も教えていることが出来ない場合に、
「昨日も教えたけどなぜやらないの?」
という話を子供にして、
そこでいつも嫁に「今はまだわからないってば」と咎められるんだよね。

確かに、僕もそう思う。
子供はわからないんだよなぁ。

だけど「子供はわからないから」と言って許してくれることを、
うちの子供は少なからずわかっている場合が多い気がしていて、
それをうまく利用して難を逃れている様を僕は何度も見ている。

僕達が思っているより子供は頭が良い。

だから、いつも僕「わかっているって」と嫁「わからないって」との攻防になる。
ま、おおよそ、この世の中の大半の人はうちの嫁の味方をすると思う。

現に、この論争によって僕と僕の母親の関係は悪くなった。
「わからないって」「いいや、僕らが思ってるよりも頭良いぞ」「んなわけないって」
の攻防です。折り合いがつくことはなく険悪なムードのまま今に至る。

僕の子供の場合はね、
都合の良いことはわかっていると思うんですよ。たぶん、
そんでもって、都合の悪いことがわからない。たぶんね。

例えば、僕の家は飴を与えないって方針でね、
まぁ甘いし、すぐ飽きるし、噛めば歯にこびりつくし、虫歯の原因になるしね。
嫁曰く、飴あげたことがあるんですけど、途中で「もういらない」と渡してきたことがあるとか(笑)
そういうこともあるし、別にあげなきゃいいって思う。

でも、どこかのお店で、お子様ランチなんて頼めば、飴が付いてきたりする訳。
その飴を手に取り「食べる!」と連呼する子供に、僕はこんな質問をしてみるの。
うちの子は「ショベルカー」が大好きなんでね、

『ショベルカー買うか、その飴食べるか、どっちが良い?』

と聞くの。
そんで「え?」って反応を示した後に、説明する。

「今その飴食ったらショベルカー無しね。その飴食べないならショベルカー買うわ」

って言う。
思うよ。すごい選択さすなーってことは思うよ。
でも、飴は食べさせたくないし、ショベルカーはもともと買う気だったから。
ま、合わせて聞いてみた訳ですよ。

まぁさ、こういう選択が子育てに良いとか悪いとか、いろいろ思うことはあるけど、
そんなことは僕はどうでも良いんですよ。
選ばなければいけない状況から「どっちにしよう?」を考えている姿を見てみたかったんですよ。
まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど。

するとね、うちの子供は簡単に、
「飴食べない!」を選択したんですよ。
で、ショベルカー!ショベルカー!と盛り上がり、飴はゴミ箱へポイしてしまうのです。

3歳ともなると、やっぱり言葉が伝わる。
少し考える時間があって、それで「ショベルカーにする!飴はいらない」って言ったから、
なんか、単純に成長を見守るという意味では、素直に喜ばしかった。

ということでね、その後にこんな質問を追加でしてしまったのです(笑)

「本当に良いの?飴食べなくて?」

悪魔のささやきです。

子「えー?食べていいのー?」
僕「食べたらショベルカーは無いかもしれないけれど、飴食べたいなら別に食べればいいじゃん」
嫁「なんでそうやって誘惑するの!!!!(怒)」

この時に、うちの子供は当然のごとく迷いまして、
「ねぇねぇおかーさん、飴食べていいの?」と質問していました。

嫁は、その時にきちんと最初の説明をして、子供は飴を選択しなくなるのですが…

ここで、なんで質問の形を少し変えただけで子供ってブレてしまうんだろう?
って考えた訳ですよ。
ショベルかーは無いかもしれないけど、別に飴食べればいいじゃん?
と言えば、食べたい!って気持ちになるのです。

僕の個人的な解釈は、子供のまだまだ乏しい思考の中で、
「どちらも手に入れられるかもしれない」という希望が見えてしまうのではないか?というものです。
かなり都合の良い選択が可能になるのではないか?という思惑が出てくるんだと思うんです。
でも、同時に自分が大好きなショベルカーは無くなるという都合の悪さには頭が回らないのです。

つまり、子供は都合の良いことはすごく覚えているし、そこに関することはしっかり見ているのでは?
と僕は認識しているのです。というか考察です。

だから、僕は都合の悪いことをしっかり教えてあげるんですよ。
「こうなってしまうぞ」「これは無しになるぞ」とか。
「遅い」とか「よそ見するな」とか「落とすな」とか「よく見ろ」とか。
そういったことが「それは子供にはわからないから」って言葉で片付けられてしまうと、
なんだかなって僕は思うのです。

怒られたい訳ではないけれど、
注意されることは大概自分にとって都合の悪いことなので、
覚えていないし、覚える気もないのです。

よく出来ていることっていうのは、
自分にとってほぼ都合の良いことなのです。
うちの子は3歳なのですが、自分で全ての服を着れるのです。
それがすごいのかすごくないのか僕にはわかりません。
ただ、服を着なければ寒いので、必死に覚えようとするかもしれないじゃないですか。

だからね、何がわかっていて何がわからないか、ということすらわからないので、
これはまだいいや…とかは特に無く、いろいろ話すようにしているんですよ。
もちろん、怒ったりもするんですけど。

少し話は変わりまして…

でもね、この全ては、僕は子供に「わかっていてほしい」という希望を抱いているからなのです。
期待している訳ではないのですが、でもよく心を観察してみると期待感が心のどこかにあるのです。
「うちの子だけが優秀であってほしい」というエゴが見え隠れするのです。

だから、普通ではない育て方をしたいっていうのが、僕の中にちょっとあるんでしょう。
そういうちょっとした、認識していない考え方とか思いが、行動に思いっきりでてしまうのが人間ってもんです。
ここ、非常に大事です。

「認識していない考え方や思いが実際の行動に思いっきり出ちゃう」

で、この子育ての話はここで中途半端に終わるのですが、
この話から僕が「あれ?僕ってもしかして期待しているの?」っていうことに気付いたっていう過程が大切なのです。
そこに「出来ないの壁に囲まれていることに気付いていない自分」を、初めて上から見ることが出来る。

子供に、公園にあるマンホールの遊具で遊ばせて、親は穴の上から子供がマンホールを通って来ている様子を見れるってのがあるんですけど、
そこで子供は前に進んで、後ろを振り返った時に僕の姿が無いことに気付き、左右前後と「どこにいるの?」って確認するのですが、
そこでいつも「なぜ上を見ないのかな?」って、おもしろおかしく見ているんですよ。

そんな感じです。囲まれていることにすら気付いていない自分を、俯瞰して見ることが一瞬できたのです。
そこに、出来ないの壁があることに初めて気付いた訳で。俯瞰ってのは「見下ろす」って意味があります。

例えば、さっきまでの子育ての話ですが、
結局心のどこかに「どうせわからないんだけど」っていうのが僕にもある訳です。
だからいちいち喧嘩をするんです。

もし「わからない」とか「わかってほしい」とか思ってないなら、
「わからないって」って言われても「うん」で終わるんですよ。
どうでもいいから。

そんで、どうでもいいから、そんな言葉はね。
なんにもストレスも溜めずに自分の思うことをやり続けられる。

で、これが「わからないんだけど」っていうのが心にあった場合にね、
子供には「わからないんだけど…」とか思いながら接するんだけど、
自分は「わからないんだけど」っていう思いの影響はなにもない。
なんて器用なことができるかな?っていう疑問を思うんですよ。

そのふるまいが、自然と出てしまうのではないかって思って。
「わからないんだけど」っていうのが、自然に日常にも出るんじゃない?

「どうせわからない」
「言ってもわからない」

僕は、言った方が良いと思うけど、
わからないけど言った方が良いって思うけど、
だから、わからないんだけど、僕は言うっていうことになる訳です。

でも、それを言わないってのは、これと一緒じゃない?

「わからないから言わない」=出来ないからやらない。

わからないけど言ってみるのと、
出来ないけどやってみるのは同じじゃないかな。

となると…
まぁ子育てをしていて「どうせわからないんだから」という言葉に囲まれて、
僕の心境にも少しばかり変化があったと思ってね、

何かをしなきゃな。って思う時、
その時に「出来ないんだけど」って気持ちが心の奥のどこかに芽生えている。
そりゃそうだ。何かをしなきゃ!ってことは、何かが出来ていないってことだもんね。
出来ていないことがあるから、やらなきゃって思う。
出来ていないことが無いのなら、何も思わないはず。

だから、何かをしなきゃ!の中には、出来ていないことか、やった方が良いことが、気持ちの中にあると思うんですよ。

でも、しなきゃなって思っているってことは、やっていないってことですよね。
やっている途中で、これもあれもっていうのもあるかもしれないけど、
僕の言うジョギングとちゃりんこは、できていないからやらなきゃなって思うんですよ。

その時に、
「でも出来ないんだろうけど」って気持ちがあることに気付かなきゃいけない。

たぶん、決意表明を一人でした時にも「でも出来ないんだよな」って気持ちがあるんですよね。
そこに気付かなきゃいけないんですよ。

居酒屋で「やろうと思うんですけど出来ないんですよ」って話すのとは違って、
やろうと思ったと同時に出来ないけどって考えているってことに気付こうって話です。
本当にやろう、ではなくて、出来ない時の言い訳をすでに考えているってことなんですよ。

それはつまり、出来なかった時を正当化するための思考を先にしてしまっている訳。
この「正当化」っていうのが、最近本当にやっかいだなって思うんですよ。

今ある世間のブームは、なんというか見えないブームやテーマは、
たぶん「正当化」なんです。
僕個人的にね。

今回の話の場合、やってみて出来なかったではなくて、
やらずに出来ない事を正当化する方法を考えているってことです。
まぁ、昔からあるかな。
僕も未だに、自分が都合良く正当かしてしまっていることに気付くことがある。

これはまずい。

その「まずい」ということに気付くためには、
決意を純粋にしていないことに気付くべきだと僕は思ったんですよ。
自分に対してだけどね。

本当は、思考の片隅に、いや四方八方に、
「でも出来ないんだよな」って気持ちがあると思う。
それを先に思っているとね、出来ない時に「やっぱりなぁ」って自分を納得させられるから。

それを消す方法はわからないけど、
まずは、消した方が良い思考がどこにあるのかを理解することから始めなければ、
始めることすらわかんない状態が続くだけだと思うんですよ。

どうせ出来ない。じゃなくて、決意したのならやんなきゃな。
やりたくないこと、したくないことを、やらなきゃ!なんて思わなくていいのかもしれない。
でも、やった方が良いこと、した方が良いことは、決意した方が良いよね。
ということは、やりたくないけどやった方が良いことは、やった方が良いし、
したくないけどした方が良いことは、した方が良いってことになるんだな。

そこで、やりたくないとしたくないっていう感情とどう付き合っていくのか?ってのが問題なんだけど、
そうなんですよ。そういうことですよね。

『なぜ?やりたくないの?したくないの?』
を知らなきゃいけないよね。

なぜ出来ないと思うのか?

まずは、やる前に出来ないと思っていることに気付き、
その後には「なぜそう思うのか?」を考えていけると、
もしかしたら、もっと具体的に前への進み方が見えてくるのかもしれない。

とか、考えた訳です。
じゃ、中途半端ですが、ここで終わります(笑)




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